比戸隣 善葦の引き出し

私、比戸隣 善葦(ひととなり よしあし)が趣味で書いた小説を公開するブログです。作品は全てフィクションなので悪しからず。

醜に醜と言う者へ

(高校生の時に書いたものです)

 

 

単刀直入に言おう。確かに私は醜い。

それは認める。というより、毎日毎秒つきつけられている事実であり、私を最も苦しませる事実だ。見てくれだけでなく、内面の穢さもまた然りの事実である。

しかしだ。それを君に言われる筋合いはない。

 

君だって分かるだろう。自虐とは防衛、自愛、衝突忌避、逃避行、ナルシズムの集体だ。最もセンシティブなポイントを突かれないための一策だ。

それを知っていながら、どうして醜であり、醜を自称する者に残酷極まりない宣告をするのか。

あまりといえばあまりだ。

心にもなくとも、私の否定を否定し、なにか適当なお世辞でも言っておけば、私は今日もまた、救われたような気持ちになったろう。

それがなんだ、「美形ではない」とは何事だ。

俺だって知ってらぁ。それも一度だけでなく二度も言いやがって、ちくしょう。

何が「けど凛々しい」だ。そンな文句つけたって、何の足しにもならねぇんだ。

てんこもりの馬糞にちょいとごはん粒をのっけられて、そんなものを頂けるかってンだ。

ちくしょう。

かえって馬鹿にされた気分になって憤激するのが当たり前だ。

 

私が今首でもつって、この紙を君宛てにと遺していったら、どうなるだろうか。

そんな鈍ッ黒い復讐を考えて胸をドギマギさせる私は、へぇ、全く、醜悪卑屈、悪臭下劣の権化でごゼェマス、へへっ。

H27 3 20

 

 

もはやただの愚痴。 2017 11 30追記

(高校生の時に書いたものです)

 

 

いつか母に云われた言葉。
今でもたまに思い出される。
しかし大抵は、己の思考がそれを直ぐに捉えるのではなく、自分がそうではないかと考えはじめた時分に、やっと、おまけの様についてくるのに過ぎず、別段それによって深く傷ついたりしていたわけではないらしい。

曰く、「お前は薄情だ」

私には友、少なくとも最も頻繁に交際する人間が居る。
なにかと趣味が合い、境遇や思考も似ており、あちこちへ出かけ、食ったり飲んだりと、よくよく遊んだ。

偽悪という言葉がある。
真っ直ぐにそれとは云えぬやも知れぬが、似たような様を演じたことがある。

その時分、私は風呂をあがり髪もかわかし、ロゼレムを飲み、その効き目を待っていた。
父親はその頃にはすでに早寝の習慣をつけており、その晩も睡眠薬を飲み、いよいよ効き目が出てきたので、夫婦の部屋からまだ寝ない母親がのこのこと出て来、居間で発泡酒をなめるのが平日の晩の常であったが、その日もまさしく違わず、そして、私達は居間でぼそぼそと談笑をはじめた。
私はこの時間がきらいではなかった。
だが時によっては漸次に口論のような運びになり、それは極まって私の内側の話の時だ。
女はその時分、心底軽蔑するような、はきだめを蜚蠊がはいまわる様を上から見下ろすような、露骨に露骨をぬったくったような嫌悪の顔をする。
ぼさぼさの髪が私のいらだちをあおる。
そして、女は云った。
「お前は薄情だ」
私は応えた。
最近仲良くなりはじめた友がいるが、彼は私にとって危険因子だ。
奴は俺によく似ている。不気味だ。
母親は果たしてろくに言葉を発さぬまま自室に引っこんだ。
様をみろと思った。

しかしどうだろう。私は今、うろたえていた。
まだどうも結論を出しかねる。
あれほどよく遊んだ相手に、急にばったり、ろうそくにばけつ一杯の水を引っかけるが如く、飽きてしまうことがあるのだろうか。
それどころか、あれほど楽しかった傷のなめあいが、気味悪く感ぜられて仕方がない。
全く、あって何かしたいという気にならない。
いよいよ彼を取り込んで自己嫌悪をはじめたということなのだろうか。
あのいかにも取りつくろったあの可愛らしさが、全く前の自分と重なってしまって、ああ、気持ち悪い。
実に醜悪な鏡だ。趣味の悪い鏡だ。
彼の彼としての部分にはもはや一片の興味が醒め果て、彼と私との共通部分を猛烈に嫌悪している。
彼も、同じであろうか。
そうであったなら、私はどう思うか。
薄情な私は、どう思うだろうか。

 

 

 

 

下手ですね。説明不足ですし。 2017 11 30 追記

落第者

たまたま、前回の来院以来今日まで、気分が落ちすぎることはなかった。
塞ぐ時間も当然多くはあったが、引きずられる度合いが比較的短くすんだ。
だが、それだけだった。
今日も相変わらず惰眠を貪り、気づけば時間はぎりぎり、やっとの思いで予約時間間際に駆け込んだ形であった。

受付をすませ、待合室の椅子に腰をかけた。
小綺麗だが、狭いビルの一室である。

受付員の作業をする音にまじり、
診察室のドアからやりとりが漏れている。
くぐもって、診察室の会話の内容まではあまり聞き取れない。
そうでないと困るとも思いつつ、ふと患者がやけに饒舌なことに気がついた。
漏出する音のうち、ほとんどが女性の声域なのである。
ここの先生は男性だ。
彼の低い声は、相槌程度にしか聞こえない。
その時分、近くで電車が轟々と走り抜けた。
この病院は線路に近接しており、時折こんな塩梅に騒音がするのである。
だが、患者の声はそれによって減衰することはなく、相変割らず元気に聞こえていた。
浅ましいと思った。
仮にもこんな病院に通院しているのであれば、井戸端会議の如き粉飾や誇張はしたくても出来ないはずである。
まして、こんな大声など、もってのほかであろう。
ただ、話を聞いて欲しいだけの、人間。
ただ、慰労や憐憫の言葉が欲しいだけの、中年。
私は少し腹が立った。そんな人のために、時間が押しているのである。
もうすでに5分以上経過している。
女の声は、まだ止みそうにない。

と、正面のソファの背もたれに頭を預け、口を開けて眠っていた50代前後と思しき女性が、もぞもぞ動いた。
目が覚めたらしい。
私は前回処方された薬を服用すると、呼吸が苦しくなった。
今日その事を伝えねばならないのである。
大仕事が待っているのである。
私はいつでも、人にがっかりされないよう、つい変に取り繕う癖がある。
早い話が、嘘つきなのだ。
悲しい顔だったり、猜疑の感を出されるのが嫌で仕方がない。
そのため、適当に誤魔化し誤魔化し、話をするのである。
そんな調子であるから、今日その旨を先生に伝えることにも、大変な勇気を要する。
到底、待ち時間に眠りこける余裕など持ち合わせてはいない。
何故、これ程の胆力のある人が、ここにいるのだろうか。

そんな事を考える内に、診察室の患者が出てきた。
声色や語調から推察された通り、ソファの人と同じくらいの年齢の女性である。
間も無く寝起きの患者が呼び出され、部屋に入っていった。
入れ替わりでソファに荷物を置いた患者は、部屋の隅に置かれた紙コップを掴み取り、ポットから給湯し、コーヒーか何か飲み始めた。
実に慣れた、悠然たる手つきであった。
私は、勧められても茶や菓子のもてなしを受け渋る質だ。
やはり強靭な人物である。

2人目に入った女性も、朗々と、闊達に演説しているようである。
同じように、芝居掛かった白々しい調子である。
刻々と時間が過ぎる。電車は何度往来しただろうか。

20分ほど経って、やっと、私の番が来た。
憂鬱である。
こん、こん、こんと、ドアを叩いた。
どうぞと声を聞き、神妙に、入室した。
「その後、どうですか」
短い挨拶が済むと、聞かれた。
なかなか難解な質問である。
私は答えに窮した。何を答えれば良いのだろうか。
どうと聞かれてこうと簡明に答えられるほど、人の生活は単調ではない。
昨日だっていくつも出来事があって、百も千もものを考えていたのである。
況や三週間も間が開いているのだから、これを説明するのは非常な難業である。
「あまり、気分が落ち過ぎなかったかもしれません」
考えた末、冒頭に書いたようなことを伝えた。
先生は、微笑んだ。間違いではなかったようだ。
「どうですか、薬は」
いよいよ申告せねばならない。
「それが、実は」
顔が曇った。怪訝そうな顔をしたのだ。
人はそれを、あるいは、真剣にものを聴く表情だというかもしれない。
だが、私には怖いのである。
機嫌を損ねた、嫌われたと怯えるのである。
なんとか、吃りながら伝え切った。
「まだ慣れていないからでしょう」
あっさりとした返答であった。
「ちゃんと飲んでいますか?」
「はぁ」
「あとどれくらい残っています?」
「さて….三つくらいでしょうか」
嘘であった。毎日服用せねばならないものだったが、どうしても気持ちが悪くて、飛び飛びに二、三日飲んで、あとはよしてしまっていたのである。
「そうですか、なら割合飲んでいるのですね」
ご機嫌は取れたらしい。多少安心した。
その後は、学校の単位の取得状況や就寝時間を聞かれ、それで終わった。
ありがとうございましたと、いやに慇懃に繰り返し待合室に戻った。
時計をみると、ようよう10分経ったくらいであった。
すぐに会計に呼ばれ、千四百円ほど支払い、ビルを出た。

情けなかった。馬鹿にしていると思った。
下らない、時間と金の無駄である。
いささかも、心が健康になった気がしない。
医者は、「治る」という。
しかし、治るとはどういう事であろうか。
前提として、治すためには、まず疾患や怪我がなければならない。
治すためには、病んだ姿と、病んでいない姿の2つを想定せねばならない。
では、この憂愁は、絶望は、忿懣は、嫉妬は、猜疑は、虚脱は、後天的な、病なのであろうか。
明るく溌剌に、悩乱などと無縁で生活する姿が、本来的なものなのだろうか。
私は、その時点でつまづいているのである。
風邪のように単純には、考えられないのである。
それでも、やはり辛いのだ。世の中と私は時計も、感覚も、ズレている。
まるで合わないのである。
具体的に明記することはしないが、この頃それによってある問題が頻発した。
個人的なレベルで済んだからいいが、これがいつ、公然と発露するか分からない。
そうなれば、おしまいである。
そこでいよいよ決心して通院を始めた訳だが、まるでだめだ。
ちっとも、助けにならない。
私は医者にとって、一介の、ある病名でもって把握されうる簡単な人間に過ぎず、
その対応にはほんの十分の面接と、あとは投薬、それで充分なのである。
個性などはまるで問題にならない。
その人の思考や感性が、どれほど重層的に組み上がって現出しているのかなど、取るに足りないのである。
何故なら、彼は病気だから。ただの精神疾患だから。薬で解決できるから。

彼は今日、私にどこの学校に通っているのか、聞いた。
それは、前回話したはずである。
学科まで聞かれ、哲学科と答え、いや、これで私の複雑怪奇なる心理の存在も示唆できたやもしれぬと、流石に呑気すぎる考えだと恥じたが、ともかくも、そういったきらいのある人間だとはその時に示したはずなのである。
それが、カルテにもかかれていなかったのだ。
どうでもいい情報だったのだ。
物の数ではなかったのだ。

どうやら、医者に助けを乞うことにも、才能が必要らしい。
蓋し、私が軽侮の念を抱いたあの患者たちこそ望ましい、模範的な人間であって、その権能を持たぬ私は、懊悩と心中を余儀なくされる、駑馬なのだ。
恥を知れ。救いなど、あるはずがない。
雄弁家でなければならない。
饗応にあずからねばならない。
人前で大口開けて眠れなければならない。
私は、からきし能がない。
惨敗である。敗残者である。
私は、ただ、平穏に過ごしたいだけだ。
それが、こんなにも難しい。
今日も、微睡みの先に幾ばくの気休めを求めねばならない。
何度、また目が覚めたことを恨んだか知れない。
それも私には、不釣り合いな憎悪である。

空間とも地平ともつかないどこかに、凪いだ純水が満ちて居た。
それは見事な透明色で、塵埃はおろか、如何許りの細菌類さえ存在していないようである。
美しいその水は、コップのような形の「そこ」の、縁のギリギリまでせり上がっており、息をふっと吹きかけると危なっかしく荒れる。
名状しがたい恍惚を感ずるほどの光景である。

ある時、一滴の墨汁が降った。
初めてのことであった。
抵抗のしようもなく、真っ黒な墨が小さく水面を踊らせ潜り込み、薄いハンカチーフを風に委ねるように色素が蠕動し、やがてそれと分からなくなった。
これは、夢であろうか。
見た目には、たった今汚されたとは到底分からぬほどに、相変わらず水は透明のままであった。
だが、確かに、水面は先ほどまでより隆起している。

こんなことが、その後何度か起きたのだが、だんだんとその間隔が狭まり、その時分には、墨はもはや春の氷柱よろしく身を解き、滴っていた。
水もとうとう薄く色づいてしまい、何より、その水位が、表面張力の限界を迎えようとしていた。
ぱんぱんと張り詰め、緊張し、実に悲痛な様相を呈していた。
そして、ああ、またぽたり。
最早くゆれるほどの余裕もなく、ついに、汚水が零れていった。
零れた水はコップの外側を舐め、足跡をずるずる引きずりながら、やがて最下層へ行きついた。
そこには、なにやら脱脂綿状のものが敷き詰められていた。
初雪の明け方の庭のような壮観な景色は、それによって一点の染みを作った。
もう、乾かせど、元のようには戻らないであろう。
そうしているうちに、もう一滴、零れてきた。
また墨が降ったのだ。
またその分、脱脂綿は汚された。
やがて、また一滴、また一滴と、回数が重なるごとに、水はさらに濃く染まっていき、さらに悪いことには、脱脂綿の水分含有量が飽和し、しゃびしゃびになっていったのである。

今では、かつての美しい無垢な光景は望むべくもない。
実は壁で囲まれた空間であったのか知らないが、下層部には足が全て使ってしまうほど汚水がたまり、ぐずぐずに潤びた脱脂綿がだらしなく沈殿している。
墨はなおも絶え間なく降り続け、清浄であったコップはもはや泥水のような液が氾濫していた。
もう、決して取り返しはつかない。
例えコップも何もぶち壊そうが、無かったことにはならないのである。
零れた汚水の量があがり、コップさえ飲み込み、墨の出所に到達する事があるとしたら、きっとその時には何かしら変化するであろう。
それまでは、ただ、傍観である。

裁判

「ねえ、もう許しておやりよ」
油くさい声がきこえ、私は意識を取り戻した。
眼前ではユイが両手のひらを顔に押し当て、めそめそ震えていた。
その隣で、太った女が彼女の肩を撫でこちらを睨んでいる。


私は、全くの無罪であった。
ユイの不義密通を責める気持ちもなければ、悲しくも、悔しくも、情けなくもなかった。
どだい、興味がないのである。
私はこの度の事件を受けて何も行動してはいないし、何の感情を誘発された訳でもなかった。
別に、許すも許さぬもありはしないのである。
ただ、彼女は他に想い人ができ、その人と関係を持っただけのことだ。
敢えて言うなら、私は彼女の好きなようにさせてやりたかった。
それがきっとユイにとっても望ましいのであろうし、何より私にとって都合が良いのである。
どういう形にせよ、決断やなにやを求められる事が、大義でならない。
それなのに、私はこの場において発言を要求されている。
誤魔化しは許されない。
この太った裁判官に、それも判然とせぬ咎についての、申し開きをせねばならないのである。
私は生来、人の気持ちを推し量る事が不得手であった。
果たして、なにを申し上げれば、拘束が解かれるのだろうか。


「とっくに、許しているのだよ。怒ってなどいないから安心したまえ。」
考え考え、そんな意味の言葉を吐いた。
刹那裁判官の鼻の穴がみるみる膨れ、瞳孔が開き、ユイはワッと声を上げいっそう泣いた。
どうやら何か間違えたらしい。
許せと言われて許したと言って、いったい何が不満なのであろうか。
「だから」
裁判官は再び口を開いた。
「この子は芯から反省しているんだよ」
案の定、依然判決は下らない。
いよいよ持って、私は被告人の様相を濃くした。
その時、ユイが、半刻ぶりに、か細く声を出した。
「いいんだよ、もう。私は許されない事をした。当然の報いだよ」
裁判官はついに落涙し、ユイの肩を抱いた。
悲哀。哀憐。憐憫。そして憫笑。眼前では白々しいやりとりが続く。
全体、何が報いなのだろうか。
果たして何者が彼女に懲罰を付し、その罪を糾弾しているというのだろうか。
好きにすればいいじゃないか。怒っていないのである。責めていないのである。
議会は混迷を極めたように思えたが、どうやらこの2人のうちには、揺るぎない了解があるらしい。
タバコも切れてしまった。珈琲もとうに飲み干した。
ちらと時計をみた。もう長いこと経っている。
私は思い切って、初めて能動的に、立ち上がり、部屋を出た。
ユイはまたしてもおいおいと嗚咽し、太った友人は大事そうに彼女を抱き抱え、
私はどうやら前科一犯、ということになった。