比戸隣 善葦の引き出し

私、比戸隣 善葦(ひととなり よしあし)が趣味で書いた小説を公開するブログです。作品は全てフィクションなので悪しからず。

(高校生の時に書いたものです)

 

 

いつか母に云われた言葉。
今でもたまに思い出される。
しかし大抵は、己の思考がそれを直ぐに捉えるのではなく、自分がそうではないかと考えはじめた時分に、やっと、おまけの様についてくるのに過ぎず、別段それによって深く傷ついたりしていたわけではないらしい。

曰く、「お前は薄情だ」

私には友、少なくとも最も頻繁に交際する人間が居る。
なにかと趣味が合い、境遇や思考も似ており、あちこちへ出かけ、食ったり飲んだりと、よくよく遊んだ。

偽悪という言葉がある。
真っ直ぐにそれとは云えぬやも知れぬが、似たような様を演じたことがある。

その時分、私は風呂をあがり髪もかわかし、ロゼレムを飲み、その効き目を待っていた。
父親はその頃にはすでに早寝の習慣をつけており、その晩も睡眠薬を飲み、いよいよ効き目が出てきたので、夫婦の部屋からまだ寝ない母親がのこのこと出て来、居間で発泡酒をなめるのが平日の晩の常であったが、その日もまさしく違わず、そして、私達は居間でぼそぼそと談笑をはじめた。
私はこの時間がきらいではなかった。
だが時によっては漸次に口論のような運びになり、それは極まって私の内側の話の時だ。
女はその時分、心底軽蔑するような、はきだめを蜚蠊がはいまわる様を上から見下ろすような、露骨に露骨をぬったくったような嫌悪の顔をする。
ぼさぼさの髪が私のいらだちをあおる。
そして、女は云った。
「お前は薄情だ」
私は応えた。
最近仲良くなりはじめた友がいるが、彼は私にとって危険因子だ。
奴は俺によく似ている。不気味だ。
母親は果たしてろくに言葉を発さぬまま自室に引っこんだ。
様をみろと思った。

しかしどうだろう。私は今、うろたえていた。
まだどうも結論を出しかねる。
あれほどよく遊んだ相手に、急にばったり、ろうそくにばけつ一杯の水を引っかけるが如く、飽きてしまうことがあるのだろうか。
それどころか、あれほど楽しかった傷のなめあいが、気味悪く感ぜられて仕方がない。
全く、あって何かしたいという気にならない。
いよいよ彼を取り込んで自己嫌悪をはじめたということなのだろうか。
あのいかにも取りつくろったあの可愛らしさが、全く前の自分と重なってしまって、ああ、気持ち悪い。
実に醜悪な鏡だ。趣味の悪い鏡だ。
彼の彼としての部分にはもはや一片の興味が醒め果て、彼と私との共通部分を猛烈に嫌悪している。
彼も、同じであろうか。
そうであったなら、私はどう思うか。
薄情な私は、どう思うだろうか。

 

 

 

 

下手ですね。説明不足ですし。 2017 11 30 追記